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新書座談会

自社以外のオススメの新書をピックアップして、ざっくばらんに語り合う「新書座談会」。2014年3月刊からは、星海社新書の『現代語訳 意思の力』(著:安田善次郎、訳:守屋淳)を取り上げます。(構成・白坂微恵)

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現代語訳される古典の数々

 3月刊行から選んだ今月の一冊は、星海社新書の『現代語訳 意思の力』です。もともと1916年に実業之日本社から出版された安田善次郎の自伝を、守屋淳さんが現代語に翻訳された一冊。半農半士の貧しい家庭に育ちながら、安田財閥を築いた明治の大実業家・安田善次郎が、人生を振り返りながら、そこで得たビジネスの知見や人生哲学を語る、という指南書のかたちになっています。
今回この本を選んだのは編集部最年少の藏本くんなんだけど、二十代の藏本くんがこれを選んだ理由をまず聞こうか。藏本くんは、もともと『意思の力』のことは知ってた?

藏本 著作権が切れている名著の復刻版に興味があって、近代日本の実業家の著作を調べてみたことがあったんです。そのときに『意思の力』という安田善次郎の本があるということを知りました。タイトルも印象的だったのでいずれ調べて読みたいとは思っていたんですが、そうこうしているうちに、ちょうど星海社さんから現代語訳が刊行されたので、これは、と思ってありがたく読みました。

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 2009年に教育学者の斎藤孝さんが手がけた『学問のすすめ 現代語訳』(ちくま新書)が20万部を超えるベストセラーになったこともあって、名著復刊の兆しが起こった。古典の現代語への翻訳版は、最近の新書業界のトレンドのひとつだよね。現代語訳ではないけど、古典をわかりやすく今風に教えた本としては、うちでも『高校生が読んでいる『武士道』』を出してヒットとなった。

菊地 古い時代の難しい言葉が、今の若者にもわかりやすい、やさしい言葉に訳されているので無理なく読み進められますね。各章末に内容の要点をまとめたページが挿入されるという、自己啓発本によく見られるスタイルも取り入れられているし。

 『意志の力』の原典は非常に入手しにくい状況にあるんだけど、国立国会図書館の近代デジタルライブラリーでインターネット公開されている資料を閲覧することができます。
(http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/955099/1)

ちょっと冒頭を見比べてみましょうか。

<一旦憤然と志を決した以上は、如何なる困難障碍に遭遇するも決して其の志を飜さず、飽くまでも不屈不撓の精神で勇往邁進すること、是れ古來大事業を成就して偉名を成せる總べての人物の共通の特徴である。>

<いったん奮い立って志を決めた以上は、どんな困難や障害に遭遇しても、決してその志をひるがえさず、あくまでも困難に屈しない精神で情熱をもってつき進むこと。これが古来、大事業をなし遂げて偉大な名を残すすべての人物に共通する特徴である。>

読めないこともないけど、最後までいくのはちょっと厳しいかな。

藏本 無理です、無理です(笑)。

 明治、大正に書かれたこういう文語が、現代の若者にも刺さる言葉に訳されているというところに、訳者、編集者の努力を感じます。

陰徳を積んだ実業家・安田善次郎

菊地 内容的にも、いつの世も人が大事にしなくちゃいけない普遍的なメッセージが、変なひねりのないまっすぐな言葉で綴られています。

藏本 立身出世のためにはどういう心構えや行動が必要かを、自身の経験から語っているというところで、ひねくれていない、ストレートな回答なんですよね。努力や倹約という、基本的でありながら、忘れがちなことを再確認できました。

菊地 本文中に何度も出てくる「勤倹」という言葉。勤勉と倹約を意味していますが、この二つは同時に励んではじめて効果を発揮するものであり、バランスを欠いてはならない、ということが本書の軸となるメッセージですね。それを、安田善次郎の歩んだ人生を背景としながら読むことで、その真意をより理解することができますね。

 実際の実行が伴っているから、虚飾のない真実の言葉として受けとめられるよね。安田善次郎という人は、帯にもあるように安田財閥の始祖として巨額の財を築いたすごい実業家。東大の安田講堂も善次郎の寄贈したものだし、それから、神奈川県を走る鶴見線というローカル線に「安善駅」という駅があるけれど、あれも安田善次郎の支援に由来して付けられた名前です。

藏本 安田善次郎を略して「安善」駅ですか。人名に因んだ駅って珍しいですね。

 鉄道や電気などインフラ整備への支援や、文化事業への多大な寄附も行っていて、明治以降の日本の礎をつくった人物なんですね。けれど本人は菊地くんが言ったように「勤倹」を奨励、実行した人だったから、「陰徳を積む」と言って、生前の寄附行為は多くを匿名で行っていた。それで、世間からケチだという誤った印象を持たれて、それが最期の暗殺につながっていってしまった。

藏本 この本を読むと、安田善次郎のことをもっと詳しく知りたくなりますよね。

 そうそう。安田善次郎の偉大さを知っておくと、この本もよりおもしろく読めると思うんだ。巻末に訳者の守屋淳さんによる「安田善次郎小伝」が収録されているので、これを先に読んで内容に入るという読み方もアリだよね。

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菊地 奇抜なアイディアや突飛な方法でのし上がったわけではなく、地道な努力を重ねていった結果の成功である、という謙虚さに好感が持てます。自己啓発書的な意味でも、若い人に読んでほしい内容だし、今の時代にも合っていると思います。

いまなぜ古典が求められるのか?

 2000年代は、たとえば勝間和代さんが提唱した「グーグル化」のような、新しい着想、大胆な視点を導入することで読者の関心を引くようなビジネス書が多く出版されました。ところが、「さとり世代」の出現のような、経済的な閉塞感が濃厚になると、こういった本もあまり売れなくなってきたんだよね。その結果、新奇なものよりは、繰り返し語られ、実践されて生き残ってきた言葉のほうがいい、ということで古典が注目されているんだと思う。ドラッカーやカーネギーの本が注目されているのもそうだし、PHPビジネス新書から『松下幸之助ライブラリー』という復刊企画も現れている。目新しいものよりも、時の洗練を受けている言葉が、今の時代には求められているような気がするなあ。

菊地 2003年にSMAPの『世界に一つだけの花』が大ヒットしました。「No.1にならなくてもいい、もともと特別なonly one」というフレーズだけが一人歩きするような、とにかくひたすらに個性重視という時代があったんですよね。10年後の今、このフレーズはリアリティを失っているようにも思うし、組織の中で実力を発揮する生き方、堅実な生き方は見直されてきていますよね。だから、努力、勤倹、克己、といったような、ひと昔前だったら敬遠されたような言葉も、時代の流れの中で受けとめたい気持ちになってきますね。

藏本 守屋さんがあとがきで、<日本ではこうした成功者は〈成り上がり者〉と言われてネガティブな感情を向けられやすい>ということも書いています。安田善次郎も半農の貧しい家庭に育って、都会に出てきて成功した〈成り上がり者〉なんだけれども、決して突飛なアイディアや、人の真似できないようなやり方で成功をつかんだわけではなく、あくまで実直にコツコツと努力を積み重ねてきたのだというところも、逆にリアリティを感じます。

 後半になると、経営者として成功をおさめた後の苦労話も出て来て、その辺からは上に立つ人間の葛藤、安田善次郎の心のひだを感じられる。経営者や年輩の方が読んでも感じ入るものがあると思う。

藏本 僕が印象に残ったのは、銀行の社員にボーナスを出し、社員のためを思って後日にそれを元手に〈克己貯金〉という積み立て貯金をするようにと通達したら、社員から「もう使った後で、貯金の金を作るべく、買ったものを売り払わなければならなかった。はじめから取り返すなら渡さなければいい。慈善ではなく偽善だ」というような匿名のクレームが来たという話です。そこで、安田善次郎は「いかに自分では「善いことだ」と信ずることでも、人々の考え方や境遇によっては、見方が違ってくる。自分の善いと信じることを万人に強制するわけにはいかない」と反省し、積み立て貯金を任意にしたといいます。安田善次郎は、ある意味で、自らの強すぎる信念に対しても<克己>したんですね。

菊地 〈克己〉という言葉は繰り返し出てくるキーワードですね。自分に打ち勝つ力、それが『意志の力』であるというのが本書の主題になっています。

 〈克己力〉を養うために何よりも好きな酒を五年間断ったという〈禁酒の誓い〉も僕は印象的だった。一つのことを真っ直ぐに突き詰める姿勢というのは、常に多方面にアンテナを張っている僕たち編集者とは対極のところもあって、すごく参考になった。実業家として成功するには、これだけ強い意志の力が必要だということなのかもしれないね。

菊地 意志の力と、それを発揮する場としての「ストリート・スマート」ですね。「ストリート・スマート」というのは「アカデミック・スマート」の対になる概念で、現場での判断能力なんかを言う言葉ですが、安田善次郎はそのセンスが非常に高かったんだろうなということを文脈から感じます。時代の変わり目に現れて成功する人に共通する資質ですよね。

藏本 現場判断も、芯がないとブレるということですね。器用に振舞おうとするだけではだめで、自分の中で太い哲学を持っていなければいけない。

 一冊を通して、非常に素朴で、基本的なメッセージが貫かれているよね。若者のための教養と言う、星海社新書という新書業界でもエッジの効いた個性的なレーベルが、こういうオーソドックスな古典の掘り起こしをした、ということも意義が深いと思う。

藏本 〈次世代のための武器としての教養〉というところで、組織人としての生き方、堅実さと勤勉さを説いた一冊を持ってきたということですから、考えさせられます。

菊地 藏本くんは、この本をぜひ枕頭の書として、心に刻んでおくように!

(了)

今月の参加者

 角川oneテーマ21編集長。3月刊では繁桝江里・著『ダメ出しの力 職場から友人・知人、夫婦関係まで』(中公新書)が注目です。新書界における「孤高の教養レーベル」からこのテーマが出るとどう料理されるのか、新書編集者なら必読です。

菊地 角川oneテーマ21副編集長。出世、をキーワードにするわけではありませんが、同じ3月刊では『悪の出世学 ヒトラー、スターリン、毛沢東』(幻冬舎新書/中川右介)を推します。3人の出世術の基本戦略が巻末にまとめられていたりして、とても参考に(?)なります。

藏本 角川oneテーマ21編集部員。3月刊では坪田耕三・著『算数的思考法』(岩波新書)が面白いです。もはや公式として覚えてしまっている算数の公式の数々に対し、なぜそのように考えられるのかを小学生目線で丁寧に解きほぐしてあって、改めてわかることの楽しみを得られる一冊です。