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思い出の新書

これまで読んで心に残った新書を、著名人の方や書店員の方に紹介してもらう企画「思い出の新書」。

第5回は、5月18日に『明日、機械がヒトになる ルポ最新科学』(講談社現代新書)を上梓された小説家の海猫沢めろんさんに、思い出の新書をうかがいました。

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ぼくが人間になったのは二十五歳の頃だった。

それまでのぼくは、共感能力や豊かな感受性、論理的思考や一貫した考え、そうした人間的と言われる論理と感性が非常に希薄で、ただ環境に反応して生きているだけで、虫と変わらなかった。

そんなぼくが上京してすぐに勤めたデザイン会社に、Mさんという四十歳すぎのデザイナーがいた。小柄な身体にCOMME des GARCONSの服を着たMさんは、駅前の喫茶店のフォントの一文字だけが大きいことに悩み、二日くらいぼくと討論したり、ポストイットを見つめて「・・・・・・弱さの強さ、ということか」と独り言を言っているような、とてもヘンな人だった。

元はミュージシャンで、有名なバンドのバックでギターを弾いていたが、デザインのほうが好きになって三十くらいで音楽をやめてこの仕事をはじめたらしい。もちろん仕事は素晴らしく、ぼくが初めて出会うタイプの大人だった。

当時ふたりでエヴァンゲリオンについての話をよくしていたせいか、Mさんはいつの間にかぼくを「シンジくん」という(嫌な)ニックネームで呼ぶようになっていた。派遣社員にも関わらず遅刻やミスだらけで、しかも言われた仕事に毎回妙なアレンジを加えて台無しにするぼくに呆れ、ある日Mさんは言った。

「シンジくん。君は型破りなことがやりたいんだろう?」

「はい・・・・・・」

「それならばまず型にはまることだ。そうしないと・・・・・・」

「そうしないと・・・・・・?」

「型なしになってしまうんだよ!」

ダジャレだった・・・・・・。

「型なしになったら、もう、型なしじゃないか。そうだろ?」諭すような目でバグッた同語反復を繰り返すMさんに圧倒されながら、ぼくは密かに「言ってることはダジャレだが・・・・・・深い・・・・・・さすがMさんだ」と感銘を受けていた。

その後、会社でMさんの謎の教育――妙な謎かけやら、言葉の言い換え、デザインについてのレクチャー、銀座のキャバレーでダッチワイフの営業マンのふりをする等々――を受けているうちに、あるときふと、ものを考えることができている自分に気づいた。それにしたがって仕事の精度も上がった。最初は名刺やはがきの文字組から始まって、ポスターのデザインなどを任されていたけれど、いつの間にかデザインが楽しくなっていた。

なんとなく情報を整理するコツのようなものが見えてきたころに、Mさんが「師匠の本だ。読むと良い」と、一冊の本を貸してくれた。

それは松岡正剛の『知の編集術』(講談社現代新書)だった。

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思わず「えっ!?」と問い返した。本好きのぼくにとって、知の巨人と言われる博覧強記の読書人である松岡正剛は、ほとんど神様に近い存在だったからだ。その時わかったのだが、Mさんは松岡正剛の弟子筋にあたる人で、ぼくがやらされていたことは(ダッチワイフ営業のふりをすること以外)松岡さんが考えだしたエクササイズに似たものだった。

『知の編集術』には当時ぼくがMさんに教わったことのほとんどが書かれている(ダッチワイフ営業のふりをすること以外)。情報をいかに自分のものにするか。多くの情報をどういうふうに整理して、分類するか。そうしたことでぼくのなかにあっためちゃくちゃな情報が整い、頭が働くようになり、やっと人間になった。

情報はそのままではただ覚えているだけの「記録」にすぎない。それを自分の血や肉にできたとき、はじめて今まで読んだ本が歯車のように噛み合って動き出す。そういうものだ。

デザイン会社はある日、社長が夜逃げしてつぶれてしまい、Mさんとはそれ以来会っていない。だからMさんはぼくがその後、小説家になったことも知らないはずだ。けれど、今でもぼくは数少ない師匠である彼に感謝している。

近年、師匠の師匠である松岡正剛さんと対談する機会があったのだけれど、その瞬間にまるで祖父に会ったような懐かしい気分がこみあげて、泣きそうになった。

不思議な因縁と、思い出の一冊である。