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新書座談会

自社以外のオススメの新書をピックアップして、ざっくばらんに語り合う「新書座談会」。今回は4月刊の新書から、吉増剛造さんの『我が詩的自伝 素手で焔をつかみとれ!』(講談社現代新書)を取り上げます。詩人の語り下ろし自伝という画期的な内容に、新書の新たな可能性を探ります。(構成・澤島優子)

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今回の参加者

木村やえ ポプラ新書編集長。今年度から編集長に就任しました。最近、「防空演習なんかやめさせました」というオビにひかれて『自由について 金子光晴老境随想』(中公文庫)を読んでいます。「戦争」「詩人」「反骨」とキーワードはお題本と共通のところでしょうか。何かと詩人が気になる昨今です。

大塩大 ポプラ新書編集部員。新書以外にもビジネス・実用の単行本を担当。実は、2年ほど角川新書の編集を担当していましたが、2015年にポプラ社に移籍。今読んでいる新書は『求道心』(加藤一二三:著/SB新書)と『戦国夜話』(本郷和人:著/新潮新書)です。

 角川新書編集長。橘玲『言ってはいけない―残酷すぎる真実―』、佐藤優『組織の掟』など、ここ最近は新潮新書ばかり手に取っております。今年は生涯一番と言っていいほど週刊誌も読んでおり(そういう人は多いのではないでしょうか?)、情報が偏りがちだなあと反省しています。

菊地 角川新書編集部員。今回の本はお題に決まる前から店頭で見かけて印象に残っていた、インパクトのある1冊。ちなみに自宅の本棚を見てみましたが、詩集は数えるほどしかありませんでした。

ライブ感あふれる語り下ろし

 前回に引き続き、ポプラ新書の木村編集長にご登場いただきました。

木村 よろしくお願いします。

 今日は、同じポプラ社から大塩大くんもお招きしています。今回のテーマは、講談社現代新書の吉増剛造著『我が詩的自伝 素手で焔をつかみとれ!』です。木村さんが選んでくださった一冊ですが、本書を提案された理由を教えていただけますか?

木村 まず、自伝を新書で出版するという変わった試みに興味を持ったということがあります。もともと、昭和史や芸術を個人の眼で語ったらどうなるだろうという興味があったのですが、そういった語り手の方たちがお歳を召されるにしたがって、彼らの声を残さなければいけないという想いを強く持つようになってきたので、みなさんとそういうお話ができればいいなと思いました。実は、吉増剛造さんのことをほとんど知らずに選んでしまったのですが、みなさんはどうですか?

 私も名前は聞いたことがあるなあという程度です。吉増さんの詩に以前から触れていたという人はいますか?……誰もいないのか(笑)。木村さんはポプラ社で、田原総一朗さんと「日本現代史」の本を作られていますよね。田原さんは御年82歳、吉増さんは1939年生まれの77歳。吉増さんは本書で、自分の生まれ育ちから始めて、戦前、戦中、特に戦中の記憶をくり返し語っています。そういう意味では、田原さんが昭和史を振り返るお話と時間軸は非常に近い。昨年が戦後70年ということもあって、戦前、戦中、戦後を生きてきた方々への関心が高まっていますし、木村さんのセレクションの方向もこのあたりに理由があるのかなと。

菊地 講談社BOOK倶楽部に掲載されている本書の紹介文に、「吉本隆明はかつて言いました。/『現在、日本に詩人と呼べる存在は3人しかいない。田村隆一、谷川俊太郎、そして吉増剛造だ!』。/現代日本を代表する先鋭的な詩人として、国際的に高い評価を受けている吉増剛造。詩の朗読パフォーマンスの先駆者として海外で『KAMIKAZE GOZO』とセンセーションを巻き起こした若き日から、パノラマカメラや多重露光を多用した写真表現、オブジェ作品、映像作品の制作に至るまで、他ジャンルと積極的に横断した多彩な創作活動を展開しています。」とあります。今年の6月に、東京国立近代美術館で大規模な「吉増剛造展」の開催が予定されていて、本書は4月刊ですから、まさにこの展覧会に合わせた企画と言えるでしょうね。

 自伝は時間軸にそって生い立ちを書き綴るもの、という先入観がありますが、この本では生々しい語り口をそのまま残してあります。話があちこち飛んだりするのも、まさに「詩的自伝」というか、いろいろな味わい、襞があって面白い。

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木村 主語も「私」とか「僕」とか「吉増」とか「剛造」とか、バラッバラで(笑)。これ、誰が言ったんだっけ? と混乱するところもあるんですが、主語がコロコロ変わる感じが、いつの間にか、この人自身の眼で世界を見ているような印象に変わってくる。「情報を得る」ということとは別の、「本を読む楽しさ」そのものを感じることができた気がします。

大塩 「対話相手」として挙げられているお二人(林浩平氏、山崎比呂志氏)が、きっとこういうことを聞いたんだろうなあということが項目の間から推測できるような語り下ろしですね。リアルな話をうまく聞き出していて、僕のような吉増さんを知らない人間が読んでも、吉増剛造という人、そのエネルギーがよくわかる一冊になっています。これを900円の新書でやったということは、ある意味、『バカの壁』を超えたというか、「整える」ということをやらない、新しい語り下ろしの形じゃないかなと思いました。

菊地 詩の朗読のパフォーマンスもやっている方なので、ライブ感をそのまま文字にするために、文章を変に整えたりせず、語った口調そのままを本にしている。僕も著者のことを知らずに読んだんですが、もしこれが文章の整った本だったら全然面白くなかったんじゃないかと思うんです。この文章だからこそ入っていけた。そういう意味では、内容だけじゃなく文章スタイルも含めて「自伝」というものを構成しているわけで、編集者のコンセプトとしてこのスタイルで正解だったんだろうと思いました。

 木村さんは今日、アラーキー(荒木経惟)の光文社新書(『写真ノ説明』)もお持ちくださっていますが、アラーキーの本も、撮影現場でシャッターを押しながらしゃべっているのをそのまま文章にしているような感じの本が多い。アーティストの本というのは、ありがちな表現や教科書的な文章に落とし込んでしまうと、本人のもつエネルギーや生々しい思考のあり方が消えてしまうのかもしれません。この形でなければ吉増さんの生き様や人となりは表現できなかった。

木村 アラーキーさんの写真って、誰でも一度は見たことがあると思うんですが、作品としてしっかりと見たことがなかったと新書を見ていて気がついたんです。インターネットで探せばいくらでも出てくるし、それで知った気になっていただけで、実は知る人しか知らないものだったんだと。同じように本書も、一冊を通して詩の変遷を見ることで、この人がどういう風に変わってきたのかを感じることができる。そういうライブ感のある本作りは、新書の新しい可能性として試みてもいいんじゃないかと思いました。メディアとしての新書の可能性をすごく感じさせてくれた一冊でしたね。

吉増さんはジャム・セッションが好きだとおっしゃっていますが、この本自体、自分の人生を即興的に語っている感じがします。これから読むという人は、300ページくらいの分量をできれば一気に読んでいただきたいですね。

新書で自伝を出すということ

菊地 本書が講談社現代新書というレーベルから出たということも大きな意味があると思います。詩の本の売り場はどうしても書店の奥のほうになっちゃうんですね。でも新書ならば、詩人の本であっても売り場の表に出てくることができる。新書というレーベルの面白さ、「何でもあり」な総合格闘技感がよく出ている、象徴的な一冊だと思います。

大塩 ポプラ新書で『キリスト教のリアル』(松谷信司:著)というキリスト教専門紙の編集長が書いた本があります。牧師と神父さんとの対談に基礎知識編をつけたもので、日本の聖職者のリアルな現実を書いた本なんですが、これがキリスト教に関わる方から革新的な本だと言っていただいた。日本のクリスチャンの割合は1パーセント未満と言われるくらいの世界なんですが、その界隈でものすごく盛り上がりました。 キリスト教関連の本は、『ふしぎなキリスト教』(橋爪大三郎×大澤真:著、講談社現代新書)を筆頭にたくさんありますが、教養か歴史ベースのものがほとんどで、日本の現在のクリスチャンに寄り添った本というのはこれまでなかった。しかもそれが新書というレーベルから出たということが大きかったと思います。吉増さんの自伝が現代詩の売り場ではなく新書の棚にあるということと近い気がします。

 著者の松谷信司さんという方はアイデアマンで、キリスト教のアイテムを使ったカードゲーム(「聖書コレクション」)を作ったりしてクリスチャンじゃない方にもキリスト教を知ってもらおうという試みをやっていらっしゃる革命的な方ですよね。

大塩 ええ、松谷さんじゃなければ書けないし、この本の企画自体成立しなかったと思います。そういうことはやっているうちにだんだんわかってきたことですが。

菊地 その世界をよく知っていると、どうしても忖度しちゃうというか、考えちゃいますからね。忖度していては作れない企画もあるということ。

大塩 麻雀の世界に桜井章一さんという有名な雀士がいるのですが、この人の新書が麻雀本ではありえないくらい売れているんですね。でも、彼に自己啓発本を書かせようなどと麻雀界では思いつかなかった。近すぎて気づかないということがありますし、思いついてもなかなか実行できないものです。そういう意味では、吉増さんの自伝が新書で出たということは、現代詩の世界では画期的な出来事だったのではないでしょうか。

菊地 発売当時の反響をネット上でみると、吉増ファンや現代詩のファンの間では、「すごいのが出た!」「新書で出た!」という驚きの声が多かったみたいです。

木村 本書を読んで、モノを作る人にとって、大東亜戦争の体験が幼少時に暗い影を落としたということは、とても大きなものだったということもわかりました。「白衣を着た死人(しびと)が走っている幻覚をはっきり覚えている」みたいな表現があって、この人にしかない、この時代にしかない強烈なイメージを、私のような読み手にもわかるように伝えてくれるところが、詩人の本ならではという気がしましたね。また、リトアニアの詩人ジョナス・メカスさんとの交流や裏話などが聞けるのも面白かった。

 錚々たる人たちがすごい振幅で登場しますよね。同時代の創作者、編集者、カメラマン、作家たちと並んで、渋谷の暴力団、安藤組の大幹部である花形敬なんかも出てくる。花形敬は、なべおさみさんの話題の本に「君はこの世界に向いてないから大学に進んで学びなさい」と諭したとして名前が出てきたりします。その一方で、アメリカの詩人、アレン・ギンズバーグなんかも出てくる。この振幅全部についていける人ってあまりいないんじゃないかな。

菊地 パッケージも潔いですよね。誰だかわかんない(笑)。でも、わからなくてもいいんですね。表1は1975年にアラーキー(荒木経惟)、表4の現在の顔は講談社写真部の方が撮影した著者近影を同じ構図でバンと出しただけ。サブタイトルは「素手で焔をつかみとれ!」だし、帯のコピーも「ほとばしれ、詩魂!!!」で、これから買おうとするお客さんに情報を提供して寄り添っていこうという気が一切ない(笑)。

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 きょうびの新書の販売セオリーにまったく則っていないというか、商売的な説明が一切ないんですね。そういう本をよくチョイスしましたね、木村さん。

木村 すみません(笑)。でも、プロフィール写真も舌を出していて可愛いんですよ。いい意味で遊んでいるというか、本のつくり自体がこの人を表しているんだと思います。

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菊地 営業部から編集部に異動してきた最初の頃、編集者の仕事はこういう風にやればいいんだと思わせてくれた言葉に、「三人の大家ときらめいている新人三人を押さえろ」という見城徹さんの言葉があって、すごく印象に残っているんですが、今回、現代詩における三人の大家として挙げられる人の本を出し、売り上げもちゃんとついてくるという結果を見て、編集者の仕事の進め方について久しぶりに思い出させてくれた本でした。

 吉本隆明のように、リベラルな人は必ず読むという詩人もいるわけですが、吉増さんはポリティカルなものを嫌って今に至っているということがくり返し出てくる。政治的なことや主義主張を声高に叫ぶだけではどうにもならない人間や世の中のあり方を体現しているような人であり、文章なので、読んでいて納得感がありましたし、今の時代感にも合っている気がしました。

後世に自分を伝えたいという想い

菊地 本屋の別のジャンルの売り場の大家を新書の棚に持ってくるという手法は、2000年前後の第3次新書ブームからずっとあったわけですよね。うちも、野球の監督、将棋の棋士、サッカー選手などをやってきて、最近は俳句や絵本作家なども出していますが、まだ詩の世界があったのかという思いがあります。

 しかもそうした書き手がかなり年配の人だということが傾向としてあるよね。例えば篠田桃紅さん。僕は不勉強で『百歳の力』(集英社新書)という本が出るまで知らなかったけど、その本が大ベストセラーになるわけじゃないですか。新書編集者は何度もブームを経験してきているので、ついやり尽くした気分になってしまうんですが、いろんなところにまだまだヒットの鉱脈が眠っていると思い知らされる。

菊地 ポプラ社さんにも児童書の作家という鉱脈がありますよね。絵本作家の荒井良二さんの『ぼくの絵本じゃあにぃ』(NHK出版新書)や、『ぐりとぐら』の中川李枝子さんも、新書ではないけれど、新潮社から子どもの本(『子どもはみんな問題児。』)を出された。

木村 『魔女の宅急便』の角野栄子先生も出されています(『ファンタジーが生まれるとき』(岩波ジュニア新書))。うちも、「かいけつゾロリ」シリーズの原先生や「ズッコケ三人組」の那須先生などと何かつくれたら面白いだろうと思うのですが。  以前、田原総一朗さんとお話ししていたときに、うちが児童書の出版社ということもあると思いますが、孫に自分のことを知ってほしいから児童書で出してほしいと言われたことがあって、伝えたいという欲がだんだん出てくるんだなということを感じました。

菊地 「自分が死ぬ時に何を残すか問題」というのは確かにあります。

大塩 私もKADOKAWAからポプラ社に移っていちばん驚いたのは、8割くらいの先生から「絵本を書きたい」と言われたことです。私が担当している先生は、ビジネスマン、経営者など、その道のスペシャリストという方々なので、おそらく絵本原作のことを言われているんだと思うのですが、ご自身のことを後世――子どもだったり孫だったりの違いはありますが――に残したいという方が非常に多い。

 ひとむかし前は「新書を出したい」という人が多かったものです(笑)。

大塩 自分のやってきたこと、人生を残したいという想いがあるんでしょうか。

菊地 かつて一世を風靡した漫画家たちも自伝を書き始めています。永井豪さんとかちばてつやさんとか、青年誌には今、自伝漫画がどんどん増えている。戦争の時代を生き抜き、戦後のカルチャーの大きなうねりの中でトップにいた人たちが一線から退いていくとき、自分の人生を振り返りたくなるんでしょうか。

 みんな歳を取ったんですよ。70代から80代ですからね。コミックの世界も競争が激しくて、大御所といえども昔のように新刊が売れるとは限らない。10代、20代向けの漫画についていけなくなりつつある読者の、少しでも馴染んだ環境が出てくるものを読みたいというニーズに作り手側が応えているという面もあるでしょう。

菊地 お客さんのニーズに合わせるということでいえば、「サンデー毎日」がウルトラセブン、「週刊朝日」がガンダムを表紙に使ったりしていて、週刊誌の側もお客さんのいる場所、団塊ジュニアあたりにすり寄ってきている感じがひしひしと伝わってきます。

 いろんな売り場にチャレンジするというのは業界全体から見ても自然な流れだと思いますね。ファンだった人たち、お客さんのいる場所が変わっていくのに合わせて、作り手側も売り場を変えていくことが大事じゃないかと思います。